2009年05月28日

『ローマ亡き後の地中海世界(上) 』

ローマ亡き後の地中海世界(上)

「パクス・ロマーナ」が崩れるとはどういうことか。秩序なき地中海を支配したのは「イスラムの海賊」だった。

8世紀から15世紀の地中海を扱っています。『海の都の物語―ヴェネツィア共和国の一千年〈上〉』 『海の都の物語〈下〉』『レパントの海戦』『ロードス島攻防記』などと時期的にかぶるところもありますが,その辺は知らなくても,また読んでいても楽しめます。第1章で,イスラム化された北アフリカから出撃する海賊がの西地中海のヨーロッパ沿岸への影響を概観した感じ,第2章では聖戦に借名したイスラム教徒による海賊行為とヨーロッパからの反撃開始を扱っています。十字軍を中心に据えた本ではないので,当然といか十字軍はあまり書かれていません。第3章では海賊に拉致され奴隷(ラキーク)にされた無名の人々を救出する活動の物語で,救出修道会とキリスト教徒救出騎士団による救出活動を描いています。

法の民であるローマ人が,キリスト教を受容してローマ帝国が崩壊した。敗者すらも同化し,ロジスティクスを重する戦略と政治決定を継続する意思と実現するための忍耐力が失われていった結果からだろう。ローマ人が『われらが海』と読んだ地中海は,ローマ帝国の崩壊と勃興するイスラム勢力の台頭により,イスラムの海賊行為が横行する危険な地中海へと変貌してしまう。たちが悪いのが海賊行為がイスラム教世界がキリスト教世界への聖戦として公にされた行為となっていくことにある。当時のイスラム教は,「右手にコーラン,左手に剣」という初期の活動期にあたりヨーロッパはシチリアが占領させ,ピレネー山脈まで攻め込まれてしまう。

この部分では,イスラム化されたシチリアでのキリスト教徒とイスラム教徒との共生がうまく行っていたところにとても惹かれます。様々要因があるのでしょうが,自分が正しいという信じて疑わない異なる価値観が共生するためにはどの様な方法があるのかなど考えさせられます。小説なので,掘り下げられて書かれているわけではありませんが。

その後,やられっぱなしのヨーロッパが徐々に反撃というか,力を付けて来ることになります。主にイタリアの海洋交易国家であるアマルフィ,ピサ,ジェノヴァ,ヴェネツィアが発展することにより海上運行について力を付けることにより反撃ができるようになります。ヴェネツィアについては『海の都の物語』により既に書かれているのを読む方が良いでしょう。反撃を解すると行っても,まぁなんとか海賊行為を取り締まり,交易活動ができるようになるくらいなのです。ただ,交易には当然にように安全と情報収集が欠かせないので,奴隷化されたキリスト教徒が悲惨な運命を辿っていることがローマ法王庁やヨーロッパに知られるようになってきます。正直言えばこの辺はちょっと退屈でした。

その奴隷化されたキリスト教徒(ラキーク)を浴場(強制収容所)から救出する活動を描いているのが最後の第3章です。1つは修道士マタとジョンが始めたラキークを買い戻しする事を目的とした「救出修道会」とスペインの騎士による「キリスト教徒救出騎士団」の活動です。これは十字軍の裏で華々しい活動ではないもののレコンキスタへの反感,キリスト教徒への反感から妨害に遭うなどの困難にも関わらず続けられていきます。イスラムへの対抗は,『ロードス島攻防記』での聖ヨハネ騎士団とは異なり,軍事ではなく買い戻しによるラキークの救済という形でなされます。華々しい戦いによる反抗と静かであるが継続的になされる反抗とどちらがより無名の人々のためになるのか考えさせられました。エピソードを織り交ぜてそれなりに飽きさせないように書かれているのですが,ちょっと散漫な感じを受けました。もう少し焦点を絞って書かれていると感情移入できるのですが。

posted by まったりな。 at 05:00 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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